奥白滝駅

石北本線の駅、奥白滝の廃駅画像です。

駅舎、当駅は利用者僅少に伴い、2001年7月1日をもって旅客駅としては廃止された。旅客駅として営業していた当時の駅舎は現在も残っており、保線作業用の作業基地として使用されているようである
ホーム側から見た駅舎の様子(列車内より撮影)
駅舎ホーム側には旅客駅として使用されていた当時の改札ラッチ跡と思われる痕跡が確認できた
当駅は現在、旅客駅から信号場に格下げされ、「奥白滝信号場」として石北本線の運行の安全を司る重要な役割を果たしている
石北本線の上川ー白滝間は駅間距離が37.3km離れているJR在来線で最も駅間が離れている区間である。この区間に3つの信号場が存在するが、当駅「奥白滝信号場」は最も白滝寄りに存在する信号場である
駅付近の踏切から見た駅構内の様子、旅客駅当時の設備であるホームや駅名標は全て撤去されている
駅舎付近から見た「駅前通り」の様子、当駅付近は人家がほとんど存在せず、駅の利用者も極めて僅少であったことから、JR北海道管内で近年進められている利用僅少駅の廃止に先駆けて、2001年時点で旅客駅が廃止となっている
人の営みが消えた駅構内では、ルピナスの花が静かに咲き乱れ、時折通過する列車を見守っていた

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所在地:北海道紋別郡遠軽町
乗入路線
 石北本線

上越駅

石北本線の駅、上越の廃駅画像です。

当駅は石北本線の駅であったが、50年以上前の1975年に旅客駅としては廃止となり、「上越(かみこし)信号場」となった。1975年時点で、上越地区の住民は0人であった。廃止後もしばらくは駅名標が残っていたようだが、取材時は枠のみが残っていた
駅舎、取材時は旅客駅として営業当時の木造駅舎が残っており、保線作業用の基地として使用されていたようだ
旅客営業当時に使用されていた駅名標は上川町内の資料館に保存されている
線路側から見た駅舎の様子(列車内より撮影)
石狩国・北見国の境である北見峠のすぐ西側に位置する当駅の標高は634mであり、北海道内に現存する停車場としては最も標高が高い停車場である
駅舎内には50年前の旅客駅であった当時から残ると思われる看板類が確認できた
当駅は旅客駅として廃止されてから50年以上経った現在も信号場として残っており、石北本線の運行の安全を司る重要な役割を果たしている
石北本線の上川ー白滝間は駅間が37.3km離れており、JRの在来線で最も駅間が長い区間であるが、当駅はこの区間に3つある信号場の1つであり、中間に位置する信号場である
奥に見える高架橋は旭川紋別自動車道であり、このほか国道333号も駅付近を通っている。当駅付近は人口が皆無であるが、旭川・上川と遠軽を結ぶ石北本線・旭川紋別自動車道・国道333号が北見峠を越える交通の要衝となっている
当駅周辺は冬はかなりの積雪となることから、ポイント付近はスノーシェッドに覆われている。また取材時は保線作業員の姿もみられた。鉄道運行の安全は人知れず働く作業員の方の努力により担保されているのである
当駅は国道333号から林道を少し入った箇所に位置している。駅への入り口には小さな看板が建っており、看板には旅客駅として廃止されてから50年以上経った現在も「上越駅」と書かれている
当駅には留辺志部川に架かる小さな橋を渡らないとたどり着くことができない。周囲は人口が皆無であり山深い場所にあるため、野生動物との遭遇には十分注意しよう

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所在地:北海道上川郡上川町
乗入路線
 石北本線

中越駅

石北本線の駅、中越の廃駅画像です。

駅舎、当駅は利用者僅少により、2001年に旅客駅としては廃止となった。旅客駅であった当時の駅舎は赤いトタン屋根が特徴的な木造駅舎であり、取材当時も保線基地として使用されていた。
線路側から見た駅舎の様子(列車車内より撮影)
廃止後の駅構内の様子、廃止後ホームや駅名標は撤去され、ここがかつて旅客駅であったことを示すものは何も残っていない
当駅は旅客駅としては廃止されたが、現在も「中越信号場」として、石北本線の運行の安全を支える存在となっている
石北本線の上川ー白滝間は37.3km離れており、全国の在来線で駅間の距離が最も長い区間であるが、当駅はこの駅間に3つある信号場の1つであり、最も旭川寄りにある信号場である
かつて、石狩国と北見国の境であり、現在も険しい峠が立ちはだかる北見峠越えの区間に位置する当駅。周囲には人家は皆無であり、駅前の国道333号を時折車が通過するのみである
人の営みが消えても、現在も鉄路の安全を守る重要な存在であることには変わりない

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所在地:北海道上川郡上川町
乗入路線
 石北本線

幌似駅

岩内線の駅、幌似の廃駅画像です。

駅名標、当駅は函館本線小沢駅を起点とし岩内駅へ至る国鉄岩内線の途中駅であったが、同線の廃止に伴い1985年7月に廃止となった
ホーロー駅名標、営業当時から残るものかどうかは不明である
駅名標とホーロー駅名標
駅舎、営業当時に使用されていた木造駅舎が残る。当駅は岩内線の駅で唯一駅舎が残る駅である
駅舎には営業当時に使用されていたと思われる駅名標が取り付けられていた
当駅は廃止当時は有人駅であったようである
改札口上部には廃止時点である昭和60年(1985年)3月14日改正の時刻表が展示されていた、1日7往復運行されていたことが窺え、近年廃止となった岩泉線、三江線、札沼線等と比較しても本数が多いことがわかる
駅舎内部は待合室となっていた
駅舎内部、窓口跡やベンチも残されている
岩内線廃止当時の運賃表、函館本線、室蘭本線といった現役路線のほか、近隣の廃止路線である胆振線の駅「京極」「喜茂別」の記載がみられる。胆振線は岩内線の翌年である1986年11月に全線が廃止されている
ホーム側から見た改札口の様子
当駅では内部公開時間帯であれば駅事務室跡にも立ち入ることができ、廃止時のヘッドマーク等貴重な資料が展示されている
待合室内部の様子
前述の通り岩内線内で駅舎が残る駅は当駅のみのため、隣の国富駅の運賃表や時刻表も当駅に保存されている
当駅に保存されている前田駅の運賃表、函館本線国縫駅から分岐する瀬棚線の表記もみられる。瀬棚線は国鉄分割民営化直前である1987年3月に廃止となっている
駅事務室内には古いハカリも保管されていた
ホーム側から見た駅舎の様子
廃止当時、当駅のホームは単式1面1線の棒線駅であり、列車の交換は不可能であった
駅跡に保存されている客車内には立ち入ることもできる
貨物ホームあとに設けられていた上屋も廃止当時のまま残る
当駅の駅跡は地元共和町により「幌似鉄道記念公園」として保存されている。但し、岩内線の廃線跡が国道276号バイパスの用地となったことに伴い、2007年に現在の位置に公園が移設されている
国道側から見た鉄道公園全体の様子、鉄道の廃線から40年が経過した現在も、この地に鉄道があった歴史を今に伝えている
公園に敷かれた線路は行き止まりとなっており、岩内線の廃線跡を転用して作られた国道276号バイパスがすぐ横を通る。札幌と岩内を結ぶ高速バス「高速いわない号」も国道276号バイパスを経由する。岩内線は現在も形を変え、岩内への重要な交通路としての役割を担っているのである

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所在地:北海道岩内郡共和町
乗入路線
 岩内線

月潟駅

新潟交通電車線の駅、月潟の廃駅画像です。
 
駅名標、白山前駅と燕駅を結んでいた新潟交通電車線は、1992年に白山前ー東関屋間、1993年に当駅ー燕間が廃止となった後、1999年に全線が廃止となったことに伴い当駅も廃止となった。同線の廃止に伴い新潟交通は鉄道事業から撤退し、現在は新潟市近郊で路線バス等を運行している
手書きの縦型駅名標も残っていた
駅舎、営業終了当時の駅舎がほぼそのままの状態で残されている
駅舎には電車が来なくなって25年以上経過した現在も味のある駅名標がぶら下がっていた
駅舎内部、通常は施錠されており中に立ち入ることはできないが、イベント等が開催される場合は中に立ち入ることが可能となるようだ
営業当時、ホームは単式1面1線の棒線駅であり、到着した列車はそのまま折り返していたようだ
ホーム側軒下の様子、木造の味のある造りの上屋等が廃線後25年以上経過した今も大切に保存されている
手書きと思われる「駅長」看板も残されており、旧字体かつ右書きであることが特徴的である
駅構内に残された百貨店「大和」の広告、金沢市に本社のある大和は金沢・富山に百貨店を有しているが、かつては新潟県内の新潟・長岡・上越にも店舗を有していた。新潟市の古町に店舗があった大和新潟店は2010年に閉店しており、新潟に大和があったことを示す生き証人となっている
電車線の廃線後、電車線が走っていた記憶を残すべく駅跡地は公園として整備され、電車線で使用されていた通称「かぼちゃ電車」と呼ばれる車両も大切に保存されている
駅構内にはラッセル車・荷物車・かぼちゃ電車の3両が保存されている。駅舎反対側のホームは廃線後に整備されたもので、営業当時は存在しなかったホームである
廃線後も、電車線が走っていた記憶を今に伝える「かぼちゃ電車」、未来永劫大切に保存されてほしいものである 
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所在地:新潟市南区
乗入路線
 新潟交通電車線