吉松駅

肥薩線と吉都線の分岐駅、吉松の改札画像です。 

駅名標。当駅は肥薩線と吉都線の接続駅。吉都線は当駅起点で都城に至る。なお、かつて肥薩線は鹿児島本線、吉都線は日豊本線であり、当駅は九州の2大幹線が接続する交通の要衝であった。
ホームの立ち入り禁止箇所には筆文字手書きの縦型駅名標が残る。ホームからの撮影は不可能なため跨線橋や改札外の立ち入り可能箇所から望遠で撮影する必要がある。
駅舎。鉄筋コンクリート造りの駅舎である。
かつては有人駅であり、窓口での乗車券類の購入が可能であったが、2022年3月をもって窓口は閉鎖となり、現在は無人駅となっている。
改札内から見た有人駅時代の改札口の様子
改札口の傍らには「駅長」がデザインされた看板が設置されていた。
駅舎内の待合室には肥薩線の歴史が記されたパネルがあるほか、4畳半の畳敷の待合スペースがある。また、なぜかピアノも置かれている。
ホームは2面4線となっており、このうち1番・2番・3番のりばを旅客列車が使用し、4番のりばは留置線として使用されている。
当駅の構内は広くなっているが、これはかつて当駅に吉松機関区が置かれていた名残である。
かつて肥薩線が鹿児島本線、吉都線が日豊本線であった時代、当駅は福岡・熊本、鹿児島、宮崎の3方向から集まる交通の要衝として発展したという。なお、肥薩線の人吉・八代方面は2020年に発生した豪雨災害の影響により長期不通となっている。今後同線はどのような運命をたどるのだろうか。
かつては鹿児島本線・日豊本線という九州2大幹線の接続駅として発展した当駅であるが、現在発着する列車は単行の気動車がほとんどである。
当駅では近年見かける機会が減りつつあるキハ40形(ヨンマル)が発着する光景を見ることができる。
跨線橋内には国鉄時代から残ると思われる行灯タイプの番線標が残っていた。
1番のりばの番線標
2番のりばの番線標
3番のりばの番線標
かつて跨線橋内には国鉄スタイルの出口案内看板も残っていたが、残念ながら近年撤去されてしまった。(2019年5月取材)
改札外のお手洗には手書きと思われる看板も確認できた。
当駅構内にはかつて燃料庫として使用されていた「石倉」が残っている。
当駅の石倉は近代化産業遺産に指定されているようであり、説明書きの看板が設置されている。
石倉の横には「鉄道の資料館」が設けられている。
資料館内では肥薩線・吉都線に関する展示がなされており、かつて使用されていたと思われるタブレット装置等が置かれている。
吉都線の日向前田駅・日向庄内駅のホーロー駅名標も保存されている。
当駅駅前にはSLのC55 52号機が保存されている。
また、かつて使用されていた跨線橋の支柱と思われる構造物も保存されている。
かつての当駅構内を紹介する看板も設置されている。かつては広大な敷地に数々の設備が設けられていた当駅であるが、現在はほとんどの設備が撤去され、広大な空き地が広がるばかりとなっている。
当駅前には観光SL会館「ぽっぽ亭」があり、お土産や弁当の購入・食事を行うことが可能である。
肥薩線は当駅ー人吉間の急勾配区間が最も建設が遅れ、この区間の完成に伴い門司ー鹿児島間が結ばれた。これを記念し当駅前には「肥薩鐵道開通記念碑」が機関車の動輪とともに置かれた。現在ではその横に吉松駅開設100周年、吉都線全通100周年を記念する碑も並んで置かれている。

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所在地:鹿児島県姶良郡湧水町
乗入路線
肥薩線(えびの高原線)
吉都線(えびの高原線)

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