稚内駅

日本最北端の駅、稚内の改札画像です。

駅名標。当駅の駅名標はJR西日本風デザインのものとなっている。当駅は日本最北端の駅であり、宗谷本線の終着駅である。駅番号はW80で、JR北海道の駅としてはもっとも大きい駅番号である。
当駅にはホーロー製の縦型駅名標が設置されている
駅舎。日本最北端のまち・稚内市の玄関口である当駅の駅舎は、2011年に改築された比較的新しい駅舎である。駅舎はバスターミナル・道の駅わっかないと複合施設「キタカラ」との合築となっている。複合施設内には日本最北の映画館であるTジョイ稚内も入居する。
改札口。有人駅であり、駅員配置時間帯は係員による集改札が行われるが、係員不在の時間帯は無人となる。
改札内から見た改札口の様子
きっぷ売り場の様子。当駅にはみどりの窓口が設けられている。無論、みどりの窓口設置駅としては当駅が最北端である。
みどりの窓口などは改札口付近にコンパクトにまとまった構造となっている。また、窓口営業時間外でも切符が買えるよう自動券売機が設置されている。
駅舎内部。前述の通り、バスターミナル・道の駅などと合築の複合施設となっているため、広々とした空間となっている。新しい建物だけあって、清潔感が感じられる雰囲気となっている。
複合施設部分の様子
ホームは単式1面1線の棒線駅となっている。かつては1面2線の島式ホームを有していたようだが、2010年より棒線駅となったようである。
前述の通り、当駅日本最北端の駅で宗谷本線の終着駅であるため、最南端から繋がる線路は当駅で行き止まりになっている。逆に、当駅から始まった線路が、南へ南へとはるか遠くまで続いているとも言える。
日本の鉄道が当駅より北に向けて走ることはない
ホーム上に設置されている「日本最北端 稚内駅」の木製看板。この看板は旧駅舎時代は駅舎に取り付けられていたようであるが、現在はこのようにホーム上の柵に移設されている。
最北端の線路が途切れる車止めの付近には、最北端の線路を示す看板が設置されている。後述するが、この看板は駅舎改築に伴い別の場所から移設されたものである。
駅舎改築に伴い、「日本最北端の線路」は約100m程度南に移動した。先ほどの最北端の線路看板は当初の終端部に設置されていたものである。現在、最北端の線路「跡」は駅前広場にあたるが、その場所には当時使用されていた車止めと線路を使用したモニュメントが設置されている。
当駅から3,099.5km離れている南の終着駅は指宿枕崎線の枕崎駅となる。北と南の始発・終着駅を有する稚内市と枕崎市は、このことが縁で友好都市となっている。
ホーム上の柱には、枕崎から当駅までの間にある主要駅から当駅までの距離を示す看板が設置されている。
JR線で日本最南端の駅として知られる西大山駅は当駅から3,068.4km離れている。鉄道利用のみでは、特急や新幹線を駆使しても西大山駅へは1日でたどり着くことはできない。
砂むし温泉で知られる鹿児島の温泉地・指宿駅へは3,057.4km離れている。ふと砂むし温泉に入りたくなり指宿へ行こうと思っても、当駅からは3,057.4km移動しなければならない。無論鉄道利用のみでは1日でたどり着くことはできない。
日本の首都・東京駅から当駅までは1,547.9km離れている。枕崎駅から東京駅までの距離は1,551.6kmであるため、東京駅から見て当駅と枕崎駅はほぼ等距離となり、枕崎から当駅までの旅路では東京駅が中間地点となる。当駅から東京駅までは新幹線・特急を駆使すれば鉄道利用のみでも1日でたどり着くことができるが、稚内空港から羽田空港までの直行便が存在するため、航空機利用が便利であることは言うまでもない。
北海道の鉄道の玄関口・函館駅からは703.3km離れている。ようやく北海道に入ったが、先はまだまだ長く、東京ー岡山・新青森に相当する距離がある。北海道はやはり「でっかいどう」であることがわかる。
道庁所在地である大都会・札幌駅からは396.2km離れている。札幌駅と当駅を特急「宗谷」により乗換なしで結ばれ、所要時間は約5時間となる。なお特急「宗谷」はJR全線の昼行在来線特急列車の中で、日豊本線の「にちりんシーガイア」に次いで第2位の走行距離となっている。
宗谷線の起点駅・旭川からは259.4km離れている。なお、稚内市で登録されるクルマは「旭川」ナンバーをつける。259.4km離れた地名のナンバーをつけていると考えると、北海道のスケールの大きさがよくわかる。
駅前広場に建てられた青看板には日本語・英語のほかロシア語表記もなされており、ロシアが近い「国境のまち」であることを感じさせる。
駅舎内部には「ようこそ国境の街稚内へ」と書かれた、ロシアンアンサンブルの写真パネル入りの看板がある。
樺太島の北緯50度線以南は1945年まで日本が実効支配していた。稚内と樺太の大泊との間には稚泊連絡船と呼ばれる鉄道連絡船が運行され、北海道と樺太との間の鉄道旅客輸送を担っていた。終戦とほぼ同時にソ連が樺太全土を実効支配したため、稚泊連絡線は運行が休止され、現在に至っている。
稚泊航路の名残が稚内市の観光名所の一つにもなっている北防波堤ドームである。この北防波堤ドームは駅から桟橋までの通路と稚内港の防波堤とを兼ねて建造されたもので、ギリシャ建築を彷彿とさせる外観が特徴的である。
樺太がロシアに実効支配されている現在、稚内港から出港する船は専ら利尻・礼文両島へのフェリーのみである。稚内とサハリンとを結ぶ旅客船が不定期で運行されたこともあったが、利用僅少により近年は運行されなくなっている。
稚泊連絡船の記念碑の付近にはSLの動輪のモニュメントが設置されている。これは、以前動態保存されていたSLが腐食による劣化で解体された際に動輪のみが残されたものである。
解体された旧駅舎の一部が、当駅近くにあるホテルのエントランス付近に保存されている

—————————————
所在地:北海道稚内市
乗入路線
宗谷本線

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください