今庄駅

ハピラインふくいの駅、今庄の改札画像です。

駅名標
駅舎。旧北国街道今庄宿の街並みをイメージしたデザインとなっている。
改札口。有人駅であり窓口で乗車券の購入が可能。IC専用簡易改札機設置。
駅舎内は待合室となっているほか、売店がある。
ホームは相対式2面3線。中線は特急列車の通過待ちに使用される。
駅構内は広くなっている。これは、かつて北陸本線の当駅ー敦賀間が杉津周りの旧線を通っていた時代に、急勾配に備え当駅で機関車の増解結を行っていた名残である。
当駅構内には蒸気機関車時代に使用されていた給水塔と給炭台が残る。手前の筒状の構造物が給水塔で、奥の平たい台が給炭台である。
別角度から見た給水塔と給炭台。ここ今庄は杉津周りの時代に鉄道の街として栄えた。当駅ー敦賀間は杉津周り時代の遺構が現在もかなり残っている。これより当記事で、杉津周りの旧線の遺構についてたどることとする。
当駅前には蒸気機関車の動輪が展示されており、当駅周辺が鉄道の街だったことが伺える
当駅駅舎内にある「今庄まちなみ資料館」には、当駅ー敦賀間の杉津周り旧線に関する貴重な資料が展示されている。
かつて人々が歩いた北国街道、そして現在の北陸本線・北陸自動車道も今庄を通る。敦賀と今庄の間には複数の峠があり、往来時人々は山越えを余儀無くされた。近畿と北陸の往来には必ず今庄を通る必要があり、今庄は北陸路の交通の要衝となっている。
先述の通り今庄と敦賀の間には峠があり鉄道も山越えを余儀無くされた。現在と異なり長大トンネルを掘る技術力もなく、急勾配に弱いSLが主力だった当時、当駅ー敦賀間の旧線は幾多のスイッチバックと急勾配を乗り越え山越えを行っていた。ここにはその山越え区間に備える基地であった歴史が示されている。
当駅ー敦賀間の杉津周り旧線の区間には数々のスイッチバックや信号場が設けられていた。これらの遺構は現在も残っており、遺構について紹介するパネルが展示されている。
当駅から線路を挟んで逆サイド、今庄のサイクルターミナルの駐車場にはD51481号機が展示されている。
D51481号機の概要
取材班は実際に杉津周り旧線跡の遺構に足を運び取材を行った。遺構は画像内をまっすぐ伸びている福井県道207号線沿いに集中している。この道はかつての旧線跡を道路に転用したものであり、最寄駅は南今庄駅である。
最も今庄寄りにあるのが大桐駅跡であり、ホームの跡が残る。廃線後は代替駅として南今庄駅が設けられたが、約2.5km離れている。
「大桐駅跡」と書かれた看板と大桐駅の歴史について紹介する看板がある。
ホーム跡の上にはSLの動輪と車輪が展示されている。
さらに敦賀寄りに駒を進めると山中信号場跡にたどり着く。南今庄駅から約6km。
ここ山中信号場はスイッチバック式の信号場であった。
福井県が設置した山中信号場跡に関する説明看板。
スイッチバックの待避線の終端にはロックシェッドがあり、現在も遺構が残る。
山中信号場の敦賀方には山中トンネル(画像右)があり、その横には折り返し線用のトンネル(画像左)の跡が残る。折り返し線用のトンネルはすぐに行き止まりとなる。
旧山中トンネル。長い歴史が感じられる雰囲気となっている
福井県が設置したスイッチバックに関する説明看板。
旧線のトンネル群は現在も当時とあまり変わらない状態で残っており、国の登録有形文化財に指定されている。北陸本線旧線は高速化の妨げになったことから60年程前の1962年に北陸トンネル経由の新線に付け替えられ廃線となり、今庄の鉄道の街としての役目は終えることとなった。
旧線の代わりに今庄と敦賀を繋ぐ北陸トンネルは建設から60年近く経った今でも在来線トンネルで国内最長の地位を維持しており、敦賀と今庄の間が地形的に隔絶されていることがうかがい知れる。福井県は嶺北・嶺南と2つの地域に分けられ互いに方言や文化が異なるが、嶺北と嶺南は今庄(嶺北)と敦賀(嶺南)の間に境界がある。嶺北と嶺南の文化の違いもまた、両者の間の地形的隔絶に起因するものである。

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所在地:福井県南条郡南越前町
所属路線
ハピラインふくい

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