大隅横川駅 肥薩線の駅、大隅横川の改札画像です。 駅名標 駅名標 国鉄仕様っぽいデザインの駅名標も設置されている。 国鉄仕様っぽいデザインの駅名標も設置されている。 手書き縦型駅名標も残る 手書きと思われるホーロー製縦型駅名標も残る 木製手書きの縦型駅名標も設置されている 木製手書きの縦型駅名標も設置されている 色褪せた縦型駅名標も確認できた 駅舎。1903年の開業当時からの荘厳な木造駅舎が残存しており、国の登録有形文化財に指定されている。鹿児島県内で現存する駅舎としては最も古い。 駅舎。1903年の開業当時からの荘厳な木造駅舎が残存しており、国の登録有形文化財に指定されている。鹿児島県内で現存する駅舎としては最も古い。 当駅は無人駅となっており、改札口は存在しない。有人駅時代に使用されていたと思われる改札ラッチの痕跡が現在も残っている。 当駅は無人駅となっており、改札口は存在しない。有人駅時代に使用されていたと思われる改札ラッチの痕跡が現在も残っている。 駅舎内部の様子。かつて窓口として使用されていた痕跡が残る。 かつて駅事務所として使用されていたスペースでは、毎年春になるとひなかざり展が行われる。 窓口跡上部には当駅駅舎が登録有形文化財に指定されている旨が書かれた木製の看板が掲げられている。 かつて駅事務所として使用されていたスペースでは、毎年春になるとひなかざり展が行われる。 駅事務室内には古い金庫やタブレット装置等が保管されている。 当駅駅舎のミニチュア模型も駅事務室内に保管されている。 駅舎内部の様子。ピアノや顔はめパネルが置かれている。 2019年5月取材時の駅舎内部。当時はピアノや顔はめパネルは未設置であった。 肥薩線を走るSLの様子が描かれた絵画も展示されている。 駅舎内から駅舎出入口側を望む。 駅舎内には地元・霧島市横川町の成人式の写真が飾られている。横川町の新成人は毎年当駅駅舎前で集合写真を撮るようである。 ホーム側から見た駅舎出入口の様子。改札ラッチ跡と集札箱・ベンチや駅名標が趣深い雰囲気を醸し出す。 ホーム上の駅舎軒下の様子。骨組みやラッチ跡が歴史を感じさせ大変趣深い。 2019年5月取材時の駅舎軒下の様子。こいのぼりも吊るされ郷愁を感じさせる。 ホーム柱には手書きと思われる方面表示が残る ホーム柱には手書きと思われる方面表示が残る また駅舎の柱には第二次大戦中の機銃掃射によって弾が貫通した跡が残る。当駅駅舎の長い歴史を物語る何よりの生き証人である。 また駅舎の柱には第二次大戦中の機銃掃射によって弾が貫通した跡が残る。当駅駅舎の長い歴史を物語る何よりの生き証人である。 ホーム軒下にもベンチが置かれている。 当駅駅舎には木製の看板が設置されているが、経年劣化のため何が書かれていたのか解読は困難である。 ホームから見た駅舎の様子 ホーム側から見た駅舎の様子 ホームは相対式2面2線であり列車の行き違いが可能である。かつては2面3線構造であったと思われるが現在中線は撤去されている ホームは相対式2面2線であり列車の行き違いが可能である。かつては2面3線構造であったと思われるが現在中線は撤去されている 隼人・鹿児島中央方面ホームへは構内踏切を渡る必要がある。奥に見える橋は九州自動車道であり、当駅付近には横川ICが設置されている。九州を南北に結ぶ高速交通網のうち、九州新幹線は鹿児島本線沿いに建設されたのに対し、九州道は肥薩線沿いを通る。 隼人・鹿児島中央方面ホームへは構内踏切を渡る必要がある。奥に見える橋は九州自動車道であり、当駅付近には横川ICが設置されている。九州を南北に結ぶ高速交通網のうち、九州新幹線は鹿児島本線沿いに建設されたのに対し、九州道は肥薩線沿いを通る。 ホーム上にも歴史を感じさせる雰囲気のベンチがある 当駅構内にはタブレット受けが設置されていたと思われる台の痕跡が残る また、ホーム上にはタブレット受けも残されていた。 ホーム上の柱に設置された方面看板・縦型駅名標と思われる看板。経年劣化により何が書かれていたのか解読することは困難である。 当駅の駅前にはSLの動輪が置かれている。当駅が所属する肥薩線はかつて鹿児島本線の一部であった歴史と由緒正しい魅力ある路線である。 ————————————— 所在地:鹿児島県霧島市 乗入路線 ■ 肥薩線(えびの高原線)