美瑛駅

富良野線の駅、美瑛の改札画像です。

駅名標。道内有数の観光地である丘のまち・美瑛町の代表駅であり、富良野線における主要駅でもある。当駅から旭川方面に折り返す列車が複数存在し、当駅から旭川方面への本数は富良野方面と比べ若干多くなる。
色あせた駅名標も設置されている。
ホームに設置されている名所案内
名所案内も駅名標同様、色褪せているものが存在する。
当駅にはホーロー製の縦型駅名標が設置されている。
駅舎。美瑛町周辺で採取された美瑛軟石を使用した、趣ある駅舎となっている。
改札口。当駅は有人駅になっており、駅員による集改札が実施される。なお、当駅は列車別改札のため、列車到着までホームに入ることができない。
切符売り場の様子。みどりの窓口が設置されており、自動券売機もある。
駅舎内部には待合室が設けられている。
待合室内部の様子。広々としている。
待合室内部の様子
ホーム側から見た駅舎の様子
ホームは相対式2面2線となっており、列車の行き違いが可能である。ホームは千鳥式の配置となっている。
当駅に停車する富良野行き普通列車
2番線の旭川方面ホームへは跨線橋を渡る必要がある。
逆サイドから見た跨線橋の様子
当駅の番線標は独特の形状をしている
駅構内の様子。シラカンバの木が植えられており高原の情緒が感じられる。

—————————————
所在地:北海道上川郡美瑛町
乗入路線
 富良野線

根室駅

日本最東端の有人駅、根室の改札画像です。

駅名標。当駅は北海道の本島最東端である根室市の代表駅である。また、根室本線の終着駅であり、日本最東端の終着駅である。
当駅にもホーロー縦型駅名標が設置されている。
日本の本土最東端である「納沙布岬」のイラスト入り名所案内看板が設置されている。
当駅のホーム上には「日本最東端有人の駅」であることを示す看板が設置されている。最西端である佐世保駅までは2,800km以上離れており、鉄道のみの利用では新幹線・特急を使用しても1日でたどり着くことはできない。
ホーム上には「朝日に一番近い街」と書かれた看板が設置されている。一年で最も日の出が早い時期である夏至(6/21頃)前後では、根室の日の出時刻は3時37分となる。
駅舎。青い外壁が特徴的な横に長い駅舎となっている。
駅舎外観には根室近辺の地図が描かれているほか、黄色い丸ポストも設置されている。
改札口。有人駅となっており、係員による集改札が行われる。当駅は列車別改札となっており、発車時刻の5〜10分前までは改札内に入ることができない。前述の通り、当駅は日本最東端の有人駅である。
当駅にはみどりの窓口が設置されており、無論、みどりの窓口設置駅としては日本最東端である。また、簡易型の自動券売機も1台設置されている。
根室本線の釧路ー当駅間は釧路以西とは運転系統が完全に分断されており、「花咲線」の愛称が与えられている。当駅の駅舎内には花咲線のポスター・ヘッドマークのほか、2016年春に廃止となった花咲駅のホーロー駅名標が1枚展示されている。
駅舎内部は待合室となっている。
手洗所出入口付近には内照式の手洗所看板が設置されていた。光るかどうかは不明である。
ホームは単式1面1線の棒線駅である。当駅に到着した列車はそのまま折り返して発車していく。駅構内には側線が複数存在し、機回しも可能である。
当駅の上屋は古レールを使用したものとなっている。
駅舎ホーム側には駅長事務室看板が設置されている。この看板は日本最東端の駅長事務室看板である。
当駅ホームから線路終端部を望む。滝川駅を起点に443.8kmにわたって続く根室本線は当駅が終点である。

—————————————
所在地:北海道根室市
乗入路線
根室本線(花咲線)

釧路駅

根室本線の駅、釧路の改札画像です。

駅名標。当駅は帯広市と並ぶ北海道道東の主要都市、釧路市の玄関口である。札幌からの特急「おおぞら」号は当駅までの運行であり、当駅以東は普通列車のみの運行となる。当駅を跨いで運行される列車は1本も存在せず、当駅を発着する全列車が当駅始発・終着となる。
LEDタイプではない電照式駅名標。当駅は根室本線の駅であるが、隣の東釧路駅から分岐する釧網本線の列車も全列車が当駅まで乗り入れる。根室本線は当駅で系統が分断されており、当駅ー根室間は通称「花咲線」と呼ばれる、普通列車のみ運行のローカル線となっている。
枕木に平行なタイプの駅名標も設置されている。同様の駅名標は、国内では他に小樽駅、青森駅、横手駅、郡山駅、門司港駅等でも見ることができる。
当駅2番・3番のりばには線路に並行に設置された国鉄時代の駅名標も残っており、JR化後に導入された駅番号がステッカー貼りで対応されている。
国鉄時代の駅名標は表と裏でフォントの形が若干異なる。
1番のりばには枕木に並行に設置された国鉄駅名標も存在し、こちらも駅番号のステッカーが貼られている。
裏側の様子。2番・3番のりばに設置のものと比べるとフォントの違いがわかりやすい。これらの国鉄駅名標は未来永劫末長く残ってほしいものである。
当駅にはホーロー縦型駅名標が残っていた。
駅舎。ターミナル駅に多く見られるタイプの、国鉄時代からの鉄筋コンクリート製の駅舎が現役で使用されている。このタイプの駅舎は新潟駅や米子駅等、近年改築される例も多く見られており、年々数を減らし貴重となりつつある。
駅名の赤い立体文字が駅舎のアクセントである。
当駅駅舎前にはSLの動輪が展示されている。
改札口。自動改札機が4通路設置されており、自動改札機の設置駅として当駅は日本最東端にあたる。
当駅にはみどりの窓口が設置されている。
改札口わきには自動券売機が2台設置されており、うち1台はクレジットカード専用の指定席券売機である。
駅舎内部の様子
駅舎内には北海道四季彩館(土産物店)やセブイレ等の店舗も入居している。当駅の四季彩館はキオスクの店舗としては日本最東端にあたる。
駅舎内店舗の様子。四季彩館・セブイレより奥には飲食店も何店舗か入居している。
さらに奥にはコインロッカー・待合室が設けられている。
ホームは3面5線となっている。前述の通り当駅では全ての列車が折り返す。特急おおぞら号は改札口に近い1番のりばから発着する。
ホーム同士を連絡する地下通路には国鉄行灯タイプの番線標が設置されている。
また、ホーム上にも国鉄行灯タイプの番線標が残っていた。
地下道入口への階段付近には「地下道」と手書きで書かれている。
1番のりばのホーム柱にはホーローと思われる乗車位置案内も残っていた。
当駅のホーム上屋は趣を感じさせる形状となっている。
ホームの滝川方は古レールを活用したホーム上屋である。
一方、根室方は木造のホーム上屋となっている。
当駅のホーム上には「釧路湿原」のイラストが書かれたシャッターのある建物が残っている。「にっしょく」との記載があるが、これは旧国鉄時代に車内販売、食堂車、駅構内の食堂を営業していた「日本食堂」の略称であり、このことから国鉄時代より残る建物と推察される。
このほか、1番のりばのホーム上にも「晩秋の釧路湿原」のイラストが単体で展示されている。

—————————————
所在地:北海道釧路市
乗入路線
 根室本線
釧網本線)

網走駅

石北本線と釧網本線の駅、網走の改札画像です。

駅名標。当駅は刑務所で有名な網走市の代表駅であり、石北本線・釧網本線の終着駅である。複数の路線が乗り入れる駅としては、当駅が日本最北端である。
自立式駅名標。当駅には石北本線の駅番号のみが設定されている。
当駅1番のりばの北見・旭川寄りには国鉄時代のものと思われる駅名標が残っていた。この駅名標は1987年に廃止となった勇網線のホーム跡付近に設置されているものであるためか、隣駅表示がない。
当駅にもホーロー縦型駅名標が設置されている。
網走湖と思われるイラスト入りの名所案内看板が設置されている。
名所案内看板は吊り下げタイプのものも存在する。
駅舎。鉄筋コンクリート製の駅舎となっており、駅舎は駅前広場より少し高い位置にある。
当駅には木製縦型の駅名看板が設置されているが、これは網走刑務所を出所した元受刑者が「再び横道に逸れる」ことのないように願って、縦書きされたものとされている。
改札口。当駅は有人駅となっており、係員による集改札が行われる。当駅は列車別改札であるため、発車時刻の5〜10分前までは改札内に入ることができない。
当駅にはみどりの窓口が設けられているほか、自動券売機、クレジットカード専用の指定席券売機がそれぞれ1台ずつ設置されている。
駅舎内部には待合室が設けられている。
駅舎の外には臨時改札口と思われる改札ラッチが残っていた。現在も使用されているかどうかは不明である。
臨時改札ラッチ付近には網走監獄をモチーフとした記念撮影用のパネルがあり、受刑者になった気分で写真撮影ができる。
このほか、駅舎の風除室部分にも写真撮影用のパネルが設けられている。
取材時は釧網本線「流氷物語号」と「オホーツクに消ゆ」のコラボが行われており、オホーツクに消ゆの写真撮影用パネルが設置されていた。期間限定の設置であるものと思われる。
また、北見市に拠点を置く女子カーリングチーム「ロコ・ソラーレ」の顔はめパネルも設置されており、ロコ・ソラーレの一員になった気分で写真撮影ができる。同チームは2018年冬季五輪を機に人気に火が付き、現在ではオホーツクエリアの顔として様々な場所で顔はめパネルを見ることができる。
ホームは2面3線となっており、列車の行き違い・折り返しが可能である。石北本線・釧網本線ともにほとんどの列車が当駅始発・終着となるが、両線を直通する普通列車も1日数本であるが存在する。
駅構内には1987年に廃止となった勇網線の切り欠きホーム跡が残っている。
当駅のホーム上屋は古レールを使用したものとなっており、天井が高いことが特徴的である。
駅舎のホーム側には「安全優良職場」のホーロー看板が残っていた。

—————————————
所在地:北海道網走市
乗入路線
 石北本線
釧網本線

稚内駅

日本最北端の駅、稚内の改札画像です。

駅名標。当駅の駅名標はJR西日本風デザインのものとなっている。当駅は日本最北端の駅であり、宗谷本線の終着駅である。駅番号はW80で、JR北海道の駅としてはもっとも大きい駅番号である。
当駅にはホーロー製の縦型駅名標が設置されている
駅舎。日本最北端のまち・稚内市の玄関口である当駅の駅舎は、2011年に改築された比較的新しい駅舎である。駅舎はバスターミナル・道の駅わっかないと複合施設「キタカラ」との合築となっている。複合施設内には日本最北の映画館であるTジョイ稚内も入居する。
改札口。有人駅であり、駅員配置時間帯は係員による集改札が行われるが、係員不在の時間帯は無人となる。
改札内から見た改札口の様子
きっぷ売り場の様子。当駅にはみどりの窓口が設けられている。無論、みどりの窓口設置駅としては当駅が最北端である。
みどりの窓口などは改札口付近にコンパクトにまとまった構造となっている。また、窓口営業時間外でも切符が買えるよう自動券売機が設置されている。
駅舎内部。前述の通り、バスターミナル・道の駅などと合築の複合施設となっているため、広々とした空間となっている。新しい建物だけあって、清潔感が感じられる雰囲気となっている。
複合施設部分の様子
ホームは単式1面1線の棒線駅となっている。かつては1面2線の島式ホームを有していたようだが、2010年より棒線駅となったようである。
前述の通り、当駅日本最北端の駅で宗谷本線の終着駅であるため、最南端から繋がる線路は当駅で行き止まりになっている。逆に、当駅から始まった線路が、南へ南へとはるか遠くまで続いているとも言える。
ホーム上に設置されている「日本最北端 稚内駅」の木製看板。この看板は旧駅舎時代は駅舎に取り付けられていたようであるが、現在はこのようにホーム上の柵に移設されている。
最北端の線路が途切れる車止めの付近には、最北端の線路を示す看板が設置されている。後述するが、この看板は駅舎改築に伴い別の場所から移設されたものである。
駅舎改築に伴い、「日本最北端の線路」は約100m程度南に移動した。先ほどの最北端の線路看板は当初の終端部に設置されていたものである。現在、最北端の線路「跡」は駅前広場にあたるが、その場所には当時使用されていた車止めと線路を使用したモニュメントが設置されている。
当駅から3099.5km離れている南の終着駅・枕崎。それぞれ北と南の始発・終着駅を有する稚内市と枕崎市は、このことが縁で友好都市となっている。ホーム上の柱には、枕崎から当駅までの間にある主要駅から当駅までの距離を示す看板が設置されている。
JR線で日本最南端の駅として知られる西大山駅からは3068.4km離れている。特急や新幹線を駆使しても西大山駅へは1日でたどり着くことはできない。
砂むし温泉で知られる鹿児島の温泉地・指宿駅へは3057.4km離れている。ふと砂むし温泉に入りたくなって指宿へ行きたくなっても、当駅からは3057.4km移動しなければならない。もちろん1日ではたどり着けない。
日本の首都・東京駅から当駅までは1547.9km離れているようだ。東京から当駅と枕崎駅は同程度の距離であることがわかる。東京へは新幹線・特急を駆使すれば1日でたどり着くことができる。なお、東京へは稚内空港からの航空機利用が便利である。
北海道の鉄道の玄関口・函館駅からは703.3km離れている。ようやく北海道に入ったが、先はまだまだ長く、東京ー岡山・新青森に相当する距離がある。北海道はやっぱりでっかいどう。
道庁所在地・大都会札幌からは396.2km離れている。札幌と当駅を乗換なしで結ぶ特急宗谷は同区間を約5時間で結ぶ。まだまだ長い。
宗谷線の起点駅・旭川からは259.4km離れている。なお、ここ稚内市で登録されるクルマは「旭川」ナンバーをつける。259.4km離れた地名のナンバーをつけていると考えると、北海道のスケールの大きさが伺える。
駅前広場から望む駅周辺の風景。最北端のまち・稚内の中心市街地に位置し、駅周辺はホテルや民家等の建物が立ち並ぶ。
駅前広場に建てられた青看板には日本語・英語のほかロシア語表記もなされており、ロシアが近い「国境のまち」であることを感じさせる。
駅舎内部には「ようこそ国境の街稚内へ」と書かれた、ロシアンアンサンブルの写真パネル入りの看板がある。
樺太島の北緯50度線以南は1945年まで日本が実効支配していた。稚内と樺太の大泊との間には稚泊連絡船と呼ばれる鉄道連絡船が運行され、北海道と樺太との間の鉄道旅客輸送を担っていた。終戦とほぼ同時にソ連が樺太全土を実効支配したため、稚泊連絡線は運行が休止され、現在に至っている。
稚泊航路の名残が稚内市の観光名所の一つにもなっている北防波堤ドームである。この北防波堤ドームは駅から桟橋までの通路と稚内港の防波堤とを兼ねて建造されたもので、ギリシャ建築を彷彿とさせる外観が特徴的である。
樺太がロシアに実効支配されている現在、稚内港から出港する船は専ら利尻・礼文両島へのフェリーのみである。稚内とサハリンとを結ぶ旅客船が不定期で運行されたこともあったが、利用僅少により近年は運行されなくなっている。
稚泊連絡船の記念碑の付近にはSLの動輪のモニュメントが設置されている。これは、以前動態保存されていたSLが腐食による劣化で解体された際に動輪のみが残されたものである。

—————————————
所在地:北海道稚内市
乗入路線
宗谷本線